蓮の花が咲くには泥水が必要 - NO MUD, NO LOTUS
フェニックス・ライジング・ヨガセラピー養成コースで学び始めて11か月。最終4学期も残すところ1か月。卒業に向けて大詰めです。
今日のグループ面談で、メンターがシェアしてくださったMichael Leeがよくするという例え話「蓮の花が咲くには泥水が必要」が、Facebookに投稿されていました。何たるCoincidence。今の自分に必要な課題なんだなあと思います。
ここでいう「泥水」は、自分の過去の経験。影となっている部分。闇。普段は意識にのぼらないところ。光が当たらないところ。
泥水、影、闇には、一般的にネガティブなイメージがあると思います。汚いもの、目を背けたいもの。ない方がいいもの、という風に思っている節もあります。
しかし、その泥水があってこそ、蓮の花はきれいな花を咲かせるという事実。ないものにしたら、花は咲かせられない。泥水は汚いもの、目を背けるものではなく、私たちの人生の栄養源。泥水があってこそ成長がある。
3学期の頃から言われ続けていることです。フェニックス・ライジング・ヨガセラピーで大切なのは、クライアントの苦しみを取り去ることではない。その苦しみの奥に何があるのか。一緒に探求し、影や闇となっている部分に光を当てていくこと。
泥水、影、闇の存在を知り、その上にしっかりとした足取りで立つことができれば、自然と花は咲いていく。泥水を栄養源として、クライアント自身が持つ種が芽吹き、花開いていく。
それは、時として、苦しいままのクライアントに寄り添い続けるということ。体験を体験のままに、何も変えずに、共にいる。そこから見えてくるものを、共に見ようとする。看護師として「安楽」を目指して自ら行動するよう教育を受けてきた者には、なかなかハードな課題ですが、絶賛トライ中です。
変わっていく覚悟 - Prepared to change
フェニックス・ライジング・ヨガセラピー(Phoenix Rising Yoga Therapy; PRYT)養成コースの学びもいよいよ佳境。現在最終学期、4学期の真っただ中にいます。
PRYTを10か月学んできて、確実に積み上がってきたものがあるけれど、つかめそうでつかめない、わかったようでわからない、そんな部分もあります。未だ一つ一つ「あ、そっか!」という体験を積み重ねていますし、認定セラピストになったとしても、ずっと体験の繰り返しを通して、身体を育てていくのだろうと思います(やってくるものにオープンでいる身体を育てる)。
最近の私の「あ、そっか!」体験。
私は昨年の夏くらいから、自分の左半身が前側に落ちているなあと気づき、その左半身を後ろ側に引き上げるような、姿勢の改善を試みてきていました。少しずつ姿勢は変わり、自然で楽にいられる体の位置などもわかってきました。
けれども、姿勢が改善してきた一方で、肋骨の下側の心地悪さとか、左下腹の辺りのモヤモヤした感じとか、痛みというほどではないけれど、何とも言えない不快感を体に感じるようになりました。
この先、体のポジションが変わっていけば、自分が楽になることは体感的にわかっています。より良い自分になる方向性は見えている。その一方で「今」感じている不快感。これは何なのか?
こんなとき「ひとりPRYT」をしてみます。ただ不快感と共にいて、呼吸をします。そうするうちに、気づいたことがありました。「変容」には「覚悟」が必要だということ。
より良い方向性が見えていたとしても、「変わること」は必ずしも簡単ではないかもしれない。意識的でも無意識的でも、クライアントの選択には、それ相応の「覚悟」があるのです。そこに畏敬の念を持つ。プラクティショナーとしての在りようについて、また一つ考えさせられました。
やってくるものにオープンでいる身体を育てる - Bring up openness
フェニックス・ライジング・ヨガセラピー(Phoenix Rising Yoga Therapy; PRYT)を学ぶ者の【備忘録】
最近「なるほど!」と思った ボディワーカー小笠原和葉さん(@kazuha_og)のつぶやき。
ボディーワークのセッションを術者としてすることって、
— ボディーワーカー小笠原和葉@身体の声をきく (@kazuha_og) 2020年10月14日
「探しに行かない」
「その方が見つかる」
ということを体験的に学んでいく修行という感じがする。
やってくるものにオープンでいる身体を育てるだけ。
フェニックス・ライジング・ヨガセラピーは、身体の感覚を手がかりに、クライアントが自身の内面を探求していくワークです。ヨガのポーズのようなポジションを取りながら、クライアントは身体で感じていることを観察し、プラクティショナーとの対話を通して、自己理解を深めていきます。
ここで。プラクティショナーは、クライアントの役に立ちたいと、しばしば思います。そして、クライアントにとって「意味ある体験」を引き出したいという欲が出てきたりします。セッションで求められるのは、そのような前のめりの姿勢ではないのでしょう。
理想的なプラクティショナーの在りようは、虚心坦懐。何でも受け止めてくれそうな、大きな器のような身体(存在)。そんな身体で臨みさえすれば、クライアントにとって必要な体験は、おそらく、おのずと「やってくる」=「見つかる」。
そこが自分の身体(存在)を通して腑に落ちるまで、日々修行を積み重ねていこうと思います。
立ち止まる - Stop to look
立ち止まってふり返り、これまで通ってきた道を少し、戻ることになるのかもしれません。何か忘れたような気がする、置きのこしてきたような気がする、
そうかも。
今どこに向かっているのか、ちょっとわからなくなっている感覚がある。
時間はいろんなことに役立ちますが、今はあなたの人生の一番肝心な部分に、素晴らしい魔法をかけてくれるようなのです。
立ち止まって、周りの景色を、そして自分自身の内側を、眺めてみよう。
「あきらめるとは物事を明らかにして受け入れること」by掘ママ
友人に教わり、最近インスタ・フォローし始めた「掘ママ」(漢方薬局の薬剤師さん)。
今日の投稿にビビビッと来ました。
- 「諦める」は仏教の「明らめる」から来ているともいわれる
- あきらめるって断念するってことより物事を明らかにして受け入れること
- 自分がどうしてそれを望んでいるのか本当のところを見つめる
- 自分の心のうちを明らかにする
- そうすると本当の意味で明らめられる
フェニックス・ライジング・ヨガセラピーがお手伝いしますよ~✨と、大きな声で伝えたい。
フェニックス・ライジング・ヨガセラピーがすごい!と思うところ
フェニックス・ライジング・ヨガセラピー (Phoenix Rising Yoga Therapy; PRYT)養成コース研修生 きむらみえこ です。
1年間の研修も残すところ3か月あまり。確実に積み重ねてきたものもありつつ、今は次のハードルを目前にして、研修生はそれぞれのエッジ(成長のために越えていくべき境界線)を抱え、うんうん唸りながら頑張っている真っ最中です。
研修生6名には、メンターと呼ばれる指導者が、アシスタントも含め、7名ついています。毎学期定期的に「グループ面談」と呼ばれる全体ミーティングがあり、それとは別に、研修生と担当メンター1対1で行う「個人面談」もあり、細やかな指導を受けています。
先週、グループ面談がありました。直近の私たちの課題が、同期生同士ペアになり、お互いのセッションをメンタリング(気づきを促す助言をすること)し合うというものでしたので、面談では、「メンタリングしてみてどうだったか」等を話し合いました。
その流れで、あるメンターが、自分自身の体験をシェアしてくださいました。日常生活の中で自分のある行動パターンに気づき、それを踏まえて自分が研修生を面談しているビデオを見直してみたら、面談の中でも同じ行動パターンが現れていることに気がついた、というのです。「私が2学期に担当した研修生は大変だったと思う」と、自分の弱さも含め、とてもオープンに話してくださる勇気、潔さ!
PRYTは、認定セラピストになったとしても、そこがゴールではないのです。「変容」(「成長」といってもいいです)は、永遠に続きます。私たちは現在養成コース【レベル3】で学んでいますが、認定セラピストになり、メンターとしてPRYTのプログラムに参加することを、本場米国では、【レベル4】と呼ぶこともあるそうです。
セラピスト「自身」が変わることに対してオープンであるからこそ、クライアントが変わる力につながっていくのだと思います。私たちのメンターは、身を持って、その大切さを示してくれる。フェニックス・ライジング・ヨガセラピーのすごいところのひとつです。
2020/9/7-9/13の星占いby石井ゆかりさんを読んで
最近フォローし始めた 石井ゆかりさんの星占い 筋トレ週報
彼女が記す文章には、自分の人生に沿うような言葉が散りばめられています。
今週の内容も、とても興味深いものでした。
たとえば、どちらかと言えば聞き役に回ったり、相手の言葉を引き出すことに力を注いだりすることになるのかもしれません。
言葉によるアドバイスで働きかけるのではなく、穏やかさや静かさで、相手の中にあるものを「受けとっていく」ことができるようなのです。
「相手の中にあるものを受けとっていく」
これはまさに、現在研修中のフェニックス・ライジング・ヨガセラピー(Phoenix Rising Yoga Therapy; PRYT)で行っていること。
目の前の器が空っぽなときこそ、そこに水を注ぎたくなります。
この時期のあなたの心は、どこか、器のような確かさと優しさを醸し出しているように見えます。
「水を注ぎたくなるようなスペース、確かさ、優しさを醸し出す器」
これはおそらく、私が目指すべき、プラクティショナーとしての在りよう。